リビア見聞録
〜遺跡の中に政治の薫る国〜




4日目
政治的なる考古学(サプラタ遺跡)


 ガダメスへの往復1400kmのバスの旅を終えた翌日は、トリポリタニア(リビア北西部)の観光である。「トリ(3)」というラテン語の接辞語が付いているとおり、このあたりは、サプラタ、オエア(現在のトリポリの旧市街)、レプティス・マグナの3つの都市を中心ととしている。今日は、オエアの町を少し見た後でサプラタに行き、その後は飛行機でベンガジに移動するというスケジュールである。

 まずはオエア(トリポリの旧市街)へ。現地ガイドのS氏、実はこの旧市街の出身なのだそうである。彼曰く、政府が新しい市街地に住宅を作った結果、リビア人の相当部分は新市街に移ってしまい(実は彼もその一人)、現在の旧市街の住民の相当部分は外国人なのだそうである。この「新市街に移転」というのは、ガダメスや他のリビアの町でもよく見られる現象の様である。水が枯れてしまったガダメスはちょっと別なのも知れないが、昔からの建物が多く効率の悪い旧市街地を再開発するよりは新しいニュータウンに住民を移すというのは、20世紀後半の住宅政策の典型例である。旧ソ連、東欧諸国、シンガポール、日本−全部発想は同じであり、確かにその政策で国民の数量的な住宅水準は大いに向上した。しかし、その一方で、最近になって旧市街地の文化財的な価値を見直してその再開発を進めているというのもこれまた共通である。人民社会主義のリビアも同様のパターンをたどっている様で、旧市街地ではご多分にもれず修復が進んでいる。もっとも、もともとフェニキア人(カルタゴ人)が開発し、ローマ人がその上に町を作り、さらにイスラム時代にも人が住んでいた町である。イタリア人は幸いにして旧市街を取り囲むように新市街を作った様だが、「修復」といってもどの時代に戻すかが問題になる。オエアの場合、結局はオスマン・トルコ時代(16世紀以降)に戻すということになっている様である。

建物の修復光景
石材の接着にコールタールを使うのがオスマン・トルコ式なのだそうである

オエアの金物屋


 バスに1時間ほど乗って、トリポリスの2つ目であるサプラタへ。ここともう一つのレプティス・マグナは、フェニキア人が開発してローマ時代に発展した後、イスラム勢力の進入を受けて町が放棄されたため、まさに「遺跡」になっている。しかし、全景を見回してみると、この遺跡、なんか変なのである。一瞬考えてみて、その理由が判った。ローマ時代の都市遺跡とは言え、ローマ市内のそれとはことなり、長年砂に埋もれていたことから、ほとんどの遺構は土台部分しか残っていない。ローマ時代の遺跡である以上、遺跡を修復するといっても限界があることから、当たり前といえば当たり前である。しかし、そのような中に、忽然と立体的にそびえ立っているものが一つあるのである。そう、この遺跡の最大の売り物(?)である円形劇場である。

遺跡と円形劇場(真ん中の小さいもの)

サプラタのフォーラム跡

 食事を終えたあと、ガイドと合流。メインの円形劇場は後回しにして、ガイドは市街地の方から案内を始める。ガイドといっても、ここの遺跡を管理している役所というか、研究所の現役の研究者である。当然、英語(どころかイタリア語も含めて3つや4つの言葉を解する)はぺらぺらである。さすがに説明には紋切り調のところがあるものの、ちょっと突っ込むと恐ろしく細かい返事が返ってくる。本人の説明によると、観光客がまだあまり多くないせいか、遺跡の管理と研究と観光案内を同じ組織でやっているらしい。確かに、この広大な遺跡をこの午後に観光しているのは、我々を含めて3グループ、50人ほどしか居ない。考古学者らしく、彼は順序を追ってサプラータの遺跡を説明していく。お隣のカルタゴからやってきたフェニキア人の時代の街に始まり、ローマ時代の街、少し離れたフェニキア人の神殿、という順番である。そして、最後に件の円形劇場にやってきた。

円形劇場の舞台
よく見ると、柱以外はすべて新しい石


 近くに寄ると、この円形劇場、やっぱり復元の仕方が変である。特に上の方は新しい石が多い。なんか、ローマ時代の円形劇場を復元したと言うよりは、現場にある石と新しい石を組み合わせてローマ風の円形劇場を新たに構築したという感じもしないでもない。なんでこんな復元をしたのかな、と思っていると、件のガイド氏が写真を一枚とりだした。彼によると、この円形劇場の修復は1920年代末にイタリア人の考古学者が手がけたのだそうだが、こけらおとしにはムッソリーニがやってきたのだそうである。彼曰く、「この円形劇場は、土台のところはちゃんとローマ時代のものを使っているが、上部に行けば行くほど復元の正確性は怪しい。ファシストたちの要求にあわせるために、上の方は新しい石ばかり使っている。この周りにはまだ相当石が埋もれているのだけれども、多分、時間が無かったのだろう。」

 この円形劇場の修復にムッソリーニがどの程度関与していたかについてガイド氏は語らなかったものの、この話、当時の歴史背景を考えれば至極当然のことである。第2次世界大戦後にイタリアはリビアを植民地化したものの、日本の朝鮮統治と同じで、その統治はかなり難航しており、国際連盟あたりでも時々議論の対象になった様である。その際、「いや、リビアは確かに現在イスラム教徒が大多数を占めているが、もともと、ローマ時代からイタリアの一部であった。」というのが、イタリア側からリビア支配の正当性の一つとして主張されている。このような経緯を考えると、ローマ時代の遺跡を政治的な意図から「立派」に修復するために少々やりすぎたとしても、全く不思議ではない。少なくとも、土台はちゃんとローマ時代のものを使っている以上、捏造というわけでもなさそうである。また、ガイド氏によると、円形劇場を復元したイタリア人の考古学者は、学術的には優秀な人物だったのだそうである。考古学といえど、やはりその時代背景に応じ、政治的にならざるを得ないということであろうか。

円形劇場の全景


 サプラタを後にして、今度は空港へ向かう。明日からは500kmほど離れたキレナイカ地方の観光であり、その中心地ベンガジにこれから移動するためである。2,3年前までは、キレナイカに向かうためには陸路をバスで移動していたそうであるが、最近は国連の経済制裁も解除になり、飛行機の旅の安全性も向上したと言うことで、国内線を利用する。ただし、さすがに機内食は出ないので、空港のカフェのようなところでフライド・チキンの夕食を取る。現地ガイドにチェックインを任せながら食事をしていると、添乗員氏が「リビアの国内線は自由席なんですよ、搭乗券も手書きですし。」と言う。彼の言うことを聞く限り、一昔前のロシアの国内線のような壮絶な世界である。フライト遅延は当たり前、機内は自由席どころか、搭乗券を持っていても乗れないことなどしょっちゅう、しかも最近は外国人優先制度もなくなったので外国人も登場のためのバトルに参加せざるを得ない、というあれである。

 しかし、チェックイン手続きを終えた現地ガイドのS氏がくれた搭乗券を見ると、ちゃんとコンピュータで発券されており、ラゲッジのタグまできちんとついている。不思議に思って、食事を終えてチェックインカウンターに行くと、西側同様の普通のチェックインシステムがあり、確かに手つきはちょっとぎこちないものの、カウンターで係員がシートのアサインをやっている。どうも最近システムを近代化したようである。これも国連制裁解除の恩恵であろうか。当然、搭乗にまつわるバトルもなく、あっさりと搭乗する。さすがに機材はぼろぼろの727であったものの、一応機内はきれいに掃除してあるし、ロシアのように故障が放置してあると言うこともなく、ちゃんと読書灯まで点灯する。このため、ベンガジまでの1時間のフライトは実に大人しいものであった。ベンガジに着くと、そのままホテルに直行。ホテルは入り江のほとりにあり、反対側の夜景がきれいである。

ベンガジの夜景






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