| 2・3日目 |
| 砂漠の中へ |
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翌日から本格的な観光の開始である。まず出だしは、砂漠の中のオアシスであるガダメスへの往復一泊二日の旅である。アルジェリアとチュニジアとの3国の国境に近く、古くから砂漠を行くキャラバンの中継地として栄えたところなどだそうだが、なんと距離が700kmもある。この距離をドイツ製の大型観光バス(きれいだけど中古)に乗って行くことになる。もちろん、途中どこにも止まらないと言うわけではなく、途中観光しながら行くことになる。というか、運転手が一人しか居ないので、所々小休止しながらでないとこちらの方が不安になったりする。 途中止まったうちで、もっとも見所が多かったのがナールートというところである。ここはリビアの北西部を走るジュベル・ナフサという山脈の西の外れにあり、何層にも重なった食料貯蔵庫で有名なのだそうである。また、この食料貯蔵庫の横には、昔オリーブオイルを絞ったという石臼もあった。現在のジュベル・ナフサ西部は枯れ果てた砂漠地帯であるが、数百年前まではオリーブの木が茂る程度の降水量があったのであろう。当時のこのあたりは、オリーブや各種の農産物を産出する、かなり豊かな先進地帯だったことを伺わせる。 ![]() ![]() ナールートから先、道は砂漠地帯をひた走る。砂漠の砂の色が、次第に黒い色から赤い色へ変色していく。また、このあたりにも原油が埋蔵されていると言うことで、道路際の掘削済みの油井を案内される。周辺には原油が自噴した跡が黒く残っている。ただし、「将来に備えて今はまだ掘っていない」ということなのだそうで、center wellと呼ばれる鉄管をさしてバルブを閉ざしたままである。ちなみに、このcenter well、昔のアメリカ製であった。 ![]() やがて、日没間際にガダメスの街に着く。本日は「砂漠の中に沈む夕日」の観光がメインの筈だったが、途中でいろいろと時間がかかり過ぎたので時間は日没間近。あわてて4WDに乗って砂漠に向かう。途中、ローマ時代の城塞の跡を通る。五賢帝のころのものだそうだが、海岸部を根拠にしていたローマ人が、海岸から400kmも離れたこんなところに城塞を築いていたのはいささか驚きである。そして、日没の見物場所の砂山はガダメスの街から更に離れており、残念ながら途中で時間切れ。まぁ、ガダメスまでの長い旅路でいろいろと見たので仕方ない、ということで、このあたりの住民であるテュアレグ族特有の方法で入れたお茶を頂きながら、夜空の星見物となる。テュアレグ族のお茶の入れ方は、少量の熱いお茶を小さいカップにつぐというやり方である。砂漠では水は貴重である上、オアシスの水は結構塩分を含んでいることが多いので、二重の意味で飲み過ぎは禁物である。このため、砂漠の民は、量を飲み過ぎない様に熱いお茶を飲むというパターンが多い。これは中央アジアでもここサハラ砂漠でも同じなのだが、サハラ砂漠のほうが一回あたりの量は少ない様に思えた。 ![]() 翌日は、世界遺産に指定されているガダメスの旧市街の観光である。砂漠の中のオアシスとして栄えたガダメスの街は、立体的な構造を持った複雑な町並みをしており、ユネスコの世界遺産に指定されている。砂岩や日干し煉瓦を積んだ上に白い漆喰で固めた壁と椰子の木で編んだ屋根を持つ建物群は結構難燃性が高い様で、迷路の様に住居が密集している割には、大火事で大打撃を受けたということも無いという。街の中心部の通路は相当部分が屋根に覆われているが、屋根のない通路に出ると、モスクのミナレットが青い空に突き刺さっていたりする。 泉が枯れてしまったせいもあって、この迷路のようなガダメスの旧市街には現在は人は住んでいない。強い日差しの中の白く死んだ迷路の街は、さながらシュール・リアリズムの絵の世界である。もちろん、この街は1000年近くにわたって砂漠の民が延々と築き上げてきた街であり、19世紀末以降の西洋美術とは何の関係もない。しかし、ほんの二〇年ほど前までこの街に人々が普通に生活していたことを創造するのが難しいくらい、生活感の無い都市であることも事実である。 ![]() ![]() ![]() |
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