| 1日目 |
| ジャマヒリヤ(人民社会主義)の首都トリポリ |
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さて、政治の前置きはこれくらいにして、ここからいよいよリビア見聞録の始まりである。ドバイから乗ったエミレーツ便がマルタ経由でトリポリに着いたのは午後の三時過ぎであった。入管で少し待った後、ツーリスト・ポリスという旅行者団体に付く警察官(一応公安関係の様だが、どう見ても空港と検問所でしか仕事をせずにあとは寝てばかり)が入管の手続きを急かしてくれて入国。バスに乗って市内へ。現地ガイドのS氏はややイギリスなまりの英語でアメリカ流のジョークを飛ばす気さくな人物で、良く聞いてみると、カリフォルニアに留学中にアメリカの経済制裁が始まっていったん帰国し、ケンブリッジのキングス・カレッジに入り直し、イギリスの経済制裁が始まる寸前に学部を卒業したのだそうである。そのせいか、国連の経済制裁が解除になったことがすごくうれしいらしく、バスの中で「これからリビアは変わる」と力説する。ツアーの参加者は全員が英語がわかるわけではないので添乗員氏が通訳するものの、全部は訳しきれないほどである。 そのうちバスが市内に入ってきたので周りを見ると、自家用車も沢山走っているし、確かに雰囲気は明るい。2年半前に見た北朝鮮の平壌とは比べものにならないし、テヘランよりも明るそうである。同じリビアとは言え、10年前に書かれた「リビア新書」(野田正彰著)に書かれている状況とは異なり、町中は新車であふれかえっている。ホテルにチェックインし、食事までまだ時間があるので、街の中をぶらつこうとS氏に相談する。S氏によると、治安は特に問題なく、エジプトやチュニジアよりもよほど良いから何の問題もない、疲れていないなら是非行って来い、という。ツーリスト・ポリスのM氏も、歯が痛くて早く家に帰りたいせいか、ふんふんとうなずいているだけである。一人でホテル外に出ようとすると尾行してくる北朝鮮のガイドや警官とは大違いである。このツーリスト・ポリス制度、エジプトのルクソール神殿でのテロ事件の後、原理主義勢力のテロを警戒して外国人観光客には警官を付ける様にしたものの、実際にはリビアの治安が良くなったので、ただの手続き係になってしまった様である。 ![]() ホテルから市の中心の「緑の広場」を経て城壁に囲まれた旧市街の中の市場へ。リビア人の多くは政府からもらった新しい住宅へ移り、ここに住んでいるのは外国人が多いというものの、確かに治安はきわめて良好な様でである。これがエジプトあたりなら、観光客が一人でカメラをぶら下げて市場の中に入って行こうものなら、絶対と言って良いほどスリや追いはぎが目を付けてくるものだが、そのような気配は全くない。さらに言うと、売っているものの殆どは定価販売のようで、みんな値切りもせずに買っている様である。およそ、アラブのスーク(市場)とは思えない光景である。 ![]() なぜかなぁ、と思いながら市場をぶらついていて思い当たったのは、ジャマヒリヤ(人民社会主義)と呼ばれるリビア独特の政府形態、特にその補助金政策の功徳である。リビアは人口550万人の割には大産油国なので、その原油収入を幅広く各種の補助金に充当している。後で聞くと、基礎消費財の価格は補助金でかなり低く抑えられており、小麦粉は50kgで400円しかしない。また、一八歳になると政府から住宅が与えられたり、S氏のような優秀な若者は無償で海外留学できたり、果てには車を買うときには政府から半額補助が出る、といった調子で至れり尽くせりである。街には韓国車も多いが、機関毎に車種が決まっており、ドイツ車は研究員や専門職、学校の先生は三菱ランサー、軍関係者は現代、大宇(合弁会社がある)はその他一般やタクシー、という風になっているそうである。確かに、この調子で補助金をばらまく経済を三〇年も続けていれば、スークから値段の駆け引きの伝統は消えるであろうし、貧富の差も縮まって治安も良くなるはずである。今の原油価格を考えると、統計上の一人あたり国民所得は10,000米ドルほどであろうが、物価水準を考えると実質購買力はかなりある筈である。ただし、国連の経済制裁が部分解除になってまだ3年あまりのせいか、一人あたり国民所得が10,000ドルという割には、町で売られている消費財のたぐいはまだまだ貧弱であり、首都トリポリとは言えど、中国やタイの田舎町に多少毛が生えた程度に過ぎない。 また、外国人労働者はかなり多いものの、これも治安の悪化にはさほどつながっていない。リビアは「アフリカの統一」を唱えて、イスラム系のアフリカ諸国に対しビザなし入国を認め、かなりの労働力を受け入れている。S氏によると、農場で雇っているエジプト人が家電製品一式を持って逃げるというようなトラブルもあり、最近では結構厳しく取り締まっている様である。 このトリポリの旧市街、もともとはフェニキア人(ちなみに本拠地のカルタゴはお隣チュニジアにある)が建てた都市の上にローマ人が都市を築き、さらにはイスラム教徒がその上に都市を築いて、オスマントルコ時代から現代に至るまでリビアの中心として榮えてきたという経緯を持つ。このため、街の中には下の写真のような一種複雑な景観が広がっている。そして、その上で営まれる市民生活も、ジャマヒリヤなる原理の下、他のアラブ諸国とはひと味違うものになっている様である。確かに、ジャマヒリヤの原理を説いたという「緑の書」は北朝鮮の「主体思想」なみに面妖な代物と言えなくはない。しかし、リビアの場合、原油収入のおかげで、地に足の着いた経済の下、人々がそれなりに豊かに生活していることも間違いない現実である。 ![]() ![]() |
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