| はじめに |
| 敵の敵は味方である |
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「リビア=テロ支援国家」という図式が世の中に定着してどのくらいになるのだろうか。たしかに、90年代中頃まではリビアはアメリカ合衆国から目の敵にされていた。いかにアメリカとは言えど、爆撃で公然と指導者の暗殺を謀った例というのはそう多くないが、カダフィ大佐はその多くない例の一人である(結局爆撃は失敗したが)。また、ベルリンでのディスコ爆破や、パンナムやフランスの航空機の爆発事件もあり、「テロ支援」国のイメージはすっかり定着している。実際のところ、これらの行為がリビアの特殊工作組織の暴走なのか、政府そのものによる陰謀なのか、はたまた第3者の行為なのかはまだはっきりしていないところがある。しかし、航空機爆破の2件については賠償金の支払いに同意したあたり、少なくとも、何らかの形で自国が関与したことを認めているようではある。 しかし、最近になって、この「テロ支援国」をとりまく環境は大きく変わった。パンナム機爆破事件後に課されていた国連の経済制裁は、1999年の部分解除に続き、2003年の9月、丁度私が行く寸前に全面解除された。続いて、帰国後の2004年4月には米国の経済制裁も解除され、少なくとも、「悪の枢軸」では無くなった。国連経済制裁の部分解除後、経済もだいぶ持ち直したようで、街の中には新し目の乗用車が走り回っている。今回利用したドバイからのエミレーツ航空も、観光客の他、韓国人を初めとするビジネスマンや韓国企業に雇われたバングラディッシュ人の労働者で一杯であった。この点、元「テロ支援国家」とは言えど、だいぶ雰囲気は明るい。 さて、ではなぜリビアは「テロ支援国家」から外れたのであろうが。アメリカを中心とした国際政治の観点から見ると、結局のところ、「敵の敵は味方」の理屈でリビアはアメリカの見方に戻ってきた、ということになる。レーガン政権がリビアを叩いていた1980年代、アメリカの「敵」の中心はソ連であったが、そのソ連は、米国に対抗するために、第三世界における民族解放運動を積極的に支援していた。その舞台の一つが、第二次世界大戦とそれに続く中東戦争の過程で民族解放運動が高まった中近東のアラブ世界であり、エジプトのナセル、リビアのカダフィ、シリアのアサド、イラクのフセインといった、1950年代後半〜70年代に出てきた指導者群である。一般的に言って、その政治体質は、トルコの様に政教分離を原則とはせずにイスラムに準じていたとは言え、宗教色よりは民族主義色の濃い、多分に世俗的なものであった。従って、ソ連の様な無宗教国からの軍事援助を受けてみたり(実はリビアはあまり受けていない)、女性の社会進出を促進したりといった傾向が強く見られる。 イスラム世界においてこの構図が変わるきっかけになったのが、1970年代末からのソ連によるアフガニスタン侵攻である。日本のマス=メディアでは放送禁止状態になってしまった長渕剛の「静かなるアフガン」という歌に「アメリカが育てたテロリスト ビンラディンがもぐらになっちまった」という一節があるが、イスラム原理主義者によるアフガニスタンでのジハード(聖戦)を支援したのはアメリカであり、オサマ・ビン・ラディンは、少なくとも1990年代前半まではアメリカと協調関係にあった。また、アル・カイダと協力関係にあったアフガニスタンのタリバーン政権は、アメリカの意を受けてパキスタン軍情報部が支援してきた経緯もある。 また、同じイスラム圈ということで、サウジアラビアやエジプトはもちろん、リビアからもアフガニスタンへ義勇兵が送り込まれている。第四次中東戦争以降に親米化したエジプトやサウジアラビアはとにかく、なんで反米のリビアからも義勇兵が送られているのかというと、これはカダフィの方針に沿っていたからというしか言い様がない。カダフィは、「自分が支援しているのは民族解放運動であってテロ行為ではない」とかねがね出張しているが、少なくともカダフィは民族解放運動の支援者であるという点では首尾一貫している。何せ、キリスト教徒である南アフリカのネルソン・マンデラを支援する位である。この視点に立てば、アフガニスタンでのイスラム原理主義者による聖戦を支援するのは当たり前と言うことになる。 このように、アメリカもリビアもアル・カイダの前身にあたるアフガニスタンでのイスラム原理主義者によるゲリラ活動を支援したのだが、ソ連の敗北・崩壊を受け、状況は一変する。それまで支援してきたイスラム原理主義者が、今度はアメリカやリビアに反抗し始めたのである。イスラム原理主義の立場から見れば、アメリカによる一極集中支配はそもそも受け入れがたいのは当然であるが、同時に、リビアの世俗主義的な政治体制も実は同様に受け入れ難い。キリスト教徒の民族解放運動まで支援したり、女性の社会登用を進めた結果、顏を隠さないどころかチャドル(スカーフ)もしていない女性が街を普通に歩くようになったリビアは、彼らにとっては排除すべき異端ということになる。かくして、義勇兵が帰国した80年代末頃から、テロ事件による国連制裁やそれによる経済の悪化も手伝って、イスラム原理主義に関連する反政府政府勢力がそれなりにリビアに根を下ろすことになる。そして、クリントン政権による締め付けで行き場を無くしたアル・カイダが、根拠地の候補としてまだアメリカと仲が悪かったリビアに目を付け、1996年にはアル・カイダによるカダフィ暗殺未遂事件が発生する。(ただし、この事件については、まだアル・カイダと関係を持っていたイギリス情報部の関与も噂される。)この事件を受け、リビア政府はアル・カイダやそれに連なるイスラム原理主義者を逮捕・追放して治安の回復を図る一方、イスラム原理主義勢力を押さえるために、西側、特にアメリカとの関係改善に本格的に取り組み始める。カダフィに言わせると、最初にオサマ・ビン・ラディンを国際指名手配したのはリビア(1998年)なのである。 1990年代末に近くなって、リビアと国際社会、ひいてはアメリカとの関係改善が始まった背景には、このような「敵の敵は味方」という論理の成立がある。リビア側はパンナム機爆破事件の容疑者の引き渡しに合意し、1999年には国連の経済制裁が部分解除になる。そして、賠償金支払いの開始を受け、ついに国連制裁そのものが解除になったわけである。また、アメリカとリビアの間でも密かに接触が進み、イスラム原理主義勢力に関する情報交換などが行われるようになって、ブッシュの言う「悪の枢軸」からリビアは無事外れるに至った訳である。 なお、リビアとは直接関係ないが、このような事実関係を考えると、イラクとイランとアル・カイダを一緒に並べるアメリカの宣伝がいかにうさん臭いものかが良く判る。最近のように追い込まれると「敵の敵は味方」で野合する可能性もあるとは言え、基本的に、イスラム原理主義と世俗的なアラブの民族主義政権は水と油の関係なのである。さらに、シーア派のイランの宗教中心の政治体系もこれまたイスラム原理主義とは別物であり、イランの現政権とタリバーンやアル・カイダは仲が悪かったりする。これらの諸勢力の間には、「アメリカに嫌われている」ことと「イスラムである」以外には殆ど共通点は無いのである。逆に言うと、イスラエルを支援せざるを得ない事情があるとはいえ、ここまで諸勢力に嫌われるアメリカの中東政策の方がよっぽど問題なのである。 |
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