| 8日目 (8/7) |
| ローマ遺跡とイスラム(ベカー高原・バールベック) |
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8月7日 8:00 ホテルを出発。ダマスカスからレバノンの首都ベイルートへの幹線国道をバスは走る。1時間ほどで国境へ。レバノンとシリアの微妙な関係を反映してか、検問所はここも両国別々であった。もっとも交通量はかなり多く、シリア側の検問所の横にはダンキン・ドーナツなども入ったショッピングセンターまである。雰囲気も平和そのものである。 ![]() 9:55 レバノン領内に入り、国道を少し離れたアンジャール遺跡へ。ここはウマイヤ朝の夏の離宮だったという遺跡である。イスラム王朝の遺跡ではあるが、その構造はローマ都市に割とよく似ており、町の中心はやはり東西の通りと南北の通りが交差する四面門である。遺構も割とよく似ており、ハーレムのようなイスラム的な構造物の他に、石造りのアーチを使った壁とか、浴場などもある。イスラム圈ではでは今でもハンマームと呼ばれる公衆浴場がよくあるが、案外、これはローマ時代からの伝統なのかも知れない。 ![]() ![]() ![]() 10:30 アンジャール遺跡を出て、バール・ベック神殿へとバスはベカー高原を走る。レバノンという国は、マロン派を中心とするキリスト教徒と、シーア派と一部のドル−ズ派を含むキリスト教徒からなる多宗教国家であり、ほんの10年前までは内戦を繰り広げていた。現在は一応内戦は終結しているが、このベカー高原、シーア派イスラム教徒の居住地であり、ヒズボラ(神の党)などの原理主義よりの勢力がきわめて強い。日本赤軍が長年根城にしていた地域でもある。で、内戦が終結し、民兵がレバノン国軍に改組された現在でも状況はややこしい。まず、お隣のシリア軍が3000人ほどこの辺りに駐留し、治安維持のために道路の検問などを行っている。シリアがレバノンに軍を駐屯させ、その政治に関与しているとアメリカは非難しているが、やはりベカー高原でのシリアの存在感は大きい。バールベックに向かう道はベカー高原最大の幹線道路だが、数kmごとにシリア軍の検問所が存在する。 ![]() ![]() 今のレバノン国軍はかつての民兵組織が改組されたものであるが、レバノン国軍とイスラム原理主義勢力の関係も微妙なようで、レバノン国軍による検問所も多数存在する。しかも、こちらは道路脇に装甲車を並べるというものものしさである。もっとも、ヒズボラは最近は大人しいほうで、ベカー高原を含むレバノン国内に散在するパレスチナ難民キャンプには、更に過激な勢力が多数存在するという。その動向や武器の出入りを監視するために検問所が多数設けられているというのが実情のようである。しかも、至る所にヒズボラや他のイスラム勢力の看板が見受けられる。こうやって外国人観光客が観光過できるくらいなのだから、今のところはあまり大きな問題は無いのだろうが、なかなか緊迫した光景である。 ![]() ![]() ![]() もっとも、今向かっているバール・ベック神殿が豊穣の神バールを奉っていることからも判るとおり、この辺りはなかなか肥沃な穀倉地帯である。道路脇にはブドウ畑などが多数広がる。アラブ料理で一番格式が高いのはレバノン料理だと言うが、たしかにこの肥沃そうな農業地帯を見ていると、いろいろな野菜がとれるのだろうなという気はする。日本でもレバノン・ワインが割と多く出回っているが、そのほとんどはベカー高原産である。イスラム教徒がワインを作るというのは今ひとつ納得がいかないのだが、ガイドさんに言わせると、シーア派だろうと何だろうと、宗教的信条とは無関係にこのあたりのイスラム教徒もワインを飲むのだそうである。 ![]() ![]() 11:00 バール・ベック神殿に到着。紀元60年頃から3世紀にかけ、のべ200年以上をかけて少しずつ増築されていったという大神殿である。まず、神殿を作る際に石を切り出したところへ行き、切り出し中で放置されたという石を見る。重さ1200トンというかなり大きな石である。その後、今度は神殿本体の方へ。神殿のすぐ横に町があるせいで、なんとなくごみごみしているものの、規模はかなり大きい。数日後にテノール歌手のドミンゴなどを呼んで夏の街術を開く予定なのだそうで、準備のためにステージが設置されたりして、遺跡の中はちょっとばたばたしている。まず、遺跡の入り口から6角形の前庭と呼ばれるエリアへ。壁にはアーチ組みの装飾が残っている。前庭を通り過ぎると今度は庭園のエリアに入り、その奧に祭壇とジュピター神殿がある。ただし、ジュピター神殿の主な構造物は既に失われてしまい、今残っているのは6本の大列柱など一部に過ぎない。その下には、バッカスに捧げられたもう一つの神殿がある。3世紀に増築されたというが、この辺りがローマ時代からワイン造りで有名であったことの証明でもあろうか。ちなみにこのバッカス神殿、かつてのオスマン・トルコとドイツ帝国の中の良さの証明か、ドイツ皇帝の訪問記念プレートが中の壁に取り付けられている。また、少し離れたところにはビーナス神殿もあり、神殿だけで合計3つということになる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 13:30 昼食。レバノン料理と言うことで期待していたものの、平板なメニューだったのでややがっかり。米国の東海岸あたりで最近流行のレバノン料理屋の方がまだおいしいかな、というところである。もっとも、ブドウの葉に包まれたご飯が出てくる当たりに多少のレバノンらしさを感じる。食事後、レストランの屋上に上がって遺跡の全景を撮影。 ![]() ![]() 14:30 ベイルートへ向かう。バスはベカー高原を抜けて、再びベイルート・ダマスカス街道へ。街道に戻ると、やはり緊迫感はかなり低い。こちらにも検問所の建物は残っているが、兵士の姿は無い。バスはレバノン山脈を登り、今度は急な坂をおりてベイルートの町へ向かう。丁度神戸のような感じで、レバノン山脈が海へと下りたところがベイルートの町である。町に入る少し手前に内戦終結記念碑が立っている。 ![]() ![]() 16:30 ベイルート市内へ。市内は比較的復興が進んでいるようで、きれいに改装された建物も多い。もっとも、弾痕の残る建物もまだ残っている。用事を済ませたあと、市内をすこしぶらぶらする。中東最大の大都会で、かつては中東のパリと呼ばれただけあって町の規模はかなり大きい。人口も100万人を越す大都市である。市街の西部、かつてのキリスト教徒地区にあるホテルに投宿。 ![]() ![]() ![]() |
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