中東ちょっと長め旅行記
〜「帝国」の辺境を行く旅〜




6-7日目 (8/5・6)
反乱か慢心か?(パルミラ)


8月5日

17:50 パルミラの遺跡から2kmほど離れたところにあるホテルに到着。シャーム・パレスという、シリアの中では高級なホテルチェーンである。荷物を置いて、そのままアラブ城という、遺跡群の西に位置する丘の上の城塞に向かう。このアラブ城、建設は17世紀なのでパルミラが通商都市として繁栄していた3世紀に存在していた訳では無いのだが、パルミラの遺跡を見下ろす非常にいい場所に位置している。というわけで、日没の見物がてら、まずこのアラブ城へ向かう。

アラブ城から見たパルミラ遺跡
奧がベル神殿、そこから手前に伸びるのが列柱道路

やや引いて撮るとこういう感じ。周りにはオアシスが広がる。

アラブ城から見た夕日

20:00 ホテル内で夕食。スープに始まってきちんとしたコースの食事が出てくる。ホテルのレストランの窓の外には、パルミラ遺跡内の門の一つが照明で照らし出されているのがよく見える。ついでにお札を撮影。500シリア・ポンド札にはパルミラの記念門が使われている。

明かりに照らし出されるパルミラの遺跡

シリアのお札。下が500シリアポンド札

8月6日

5:30 日の出が5:45頃なので、それに合わせてホテルを出る。ホテルの横の少し小高いところに登り、そこから遺跡群の西にある「墓の谷」に出る。丁度この辺りで日の出。あとはディオクレティアヌス神殿から列柱道路にかけて、パルミラ遺跡の中心部を写真を撮りながらぶらぶらと東へ歩いていく。元々がローマ人の建設ではないせいか、パルミラの町は、東西を貫くデクマヌスが、町のメイン・ストリートである列柱道路になっているという少し変わった構造になっている。もっとも、ちゃんとカルド(南北の通り)もあり、カルドとデクマヌスの交差点である四面門が町の中心という点では普通のローマ都市と同じである。その四面門から元老院議事堂の方に歩いていくと、まだ朝早いにもかかわらず、ラクダ引きのお兄さんが仕事を始めている。折角だから乗ってあげようかと思ったところ、いきなり日本語で「ラクダはラクダ」とベタな駄洒落を飛ばされた。このため、少しがっかりして乗る気が無くなり、中国人のふりをして「対不起」と叫ぶ。もっとも、中国人観光客はあまりいないようなので、意味のないことだったかもしれない。その後、円形劇場、ナポ神殿、記念門と来て、時計を見ると7時20分。お向かいのベル神殿に寄る時間はなさそうである。1.5kmほどの道をホテルに戻り、朝ご飯を食べる。

朝焼けの中のディオクレティアヌス城塞(手前)とアラブ城(奧)

列柱道路の向こうに登る朝日

列柱道路とベル神殿

四面門

円形劇場

記念門

08:05 ホテルから再び記念門の前へ。今度はベル神殿へ向かう。パルミラの遺跡地区の大半は出入り自由なのだが、ここと三兄弟の墓など一部のところには管理人がいる。このベル神殿、もともとはギリシャ時代に太陽神信仰のために建てられたあと、12世紀にイスラム教徒によって城塞化され、その後は最近まで人が住んでいたという。ただし、中に入ってみると、かなり大規模な神殿や、生贄を捧げるための祭壇などもちゃんと残っている。

ベル神殿(1)

ベル神殿(2)

8:45 ベル神殿を出て、パルミラの市街地の西の方にある墳墓群へバスで向かう。まず、エルベール家の塔墓という4階建ての塔のようなお墓へ。4階に分かれた中は、各階がフィットネス・クラブのロッカーのようになっており、合計300人が収容できたという。ただし、現在は周囲が砂漠の荒れ地になっているので、なぜこのような塔墓が作られたのか、その必然性が今ひとつ判然としない。この種の共同墓地はどちらかというと土地が少ない場所によく見られるものであるような気がするのだが...当時はこのあたりも農地か市街地であったのであろうか。 その後、今度は3兄弟の地下墓地へ。こちらはヘレニズム世界で時々見かける、割と豪華な地下墳墓である。こちらは天井にフレスコ画が残っているせいか管理が厳重で、管理人が居て、一日のうちの決まった時間しか中を見せないようになっている。中で写真を撮ろうとしたところ、写真撮影禁止と言われてしまし、結局失敗したものが1枚撮れただけであった。

エルベール家の塔墓

三兄弟の地下墳墓の中(失敗写真)

9:40 お墓の見学を終えて再度パルミラ遺跡の中心部へ。朝一人で回ったのとは逆方向に、今度は記念門から列柱通りを西へ歩いていく。朝はあまり写真を撮る時間がなかったナポ神殿や円形劇場などを撮影する。しかし、朝も10時を過ぎると日差しはかなり強烈であり、平坦な遺跡の中を歩いているのがだんだん辛くなってくる。古の繁栄に思いをはせながら列柱通りを歩くという感じではなく、単に暑いだけである。日差しが強烈なせいで、写真も平板にならざるを得ない。そのうち、暑さのせいかガイド氏も疲れてきたようで、途中から北へ道をおれ、バール・シャミン神殿の方へと回って遺跡見学は終わりとなる。広さとしては遺跡の全体の半分も見たかどうかというところなのだが、暑いせいか他の参加者からも特に苦情は出ない。朝のうちに遺跡をしっかり回っておいて正解であった。

ナポ神殿

昼間の四面門

バール・シャミン神殿

10:30 暑さを逃れてパルミラ博物館へ。パルミラ近郊から出土したものがいくつか展示してあるが、流石もとフランス植民地、展示品の名称や解説はすべてフランス語であり、残念ながら意味がわからない。ガイド氏は英語を話してくれるものの、全部を解説してくれるわけではないので、あまり意味がわからない。いくつかのレリーフなどが記憶に残る程度であった。その後、小さな市街地をを少し散歩して昼食となる。昼食は市街地の中級ホテルの最上階のレストラン。鶏や羊を使ったマンサッフと呼ばれるピラフ(ヨーグルトをかけて食べる)などが出てくる。食事後、ホテルの屋上から遺跡や周囲のオアシスを眺める。砂漠の中ではあるが、パルミラの周りには比較的緑が多い。おそらく、昔はもっと緑が多く、遺跡の周囲一帯が農地になっていて、かなりの農業生産力を持っていたのだろう。食事後、再びダマスカス方面へ。

レストランからみたパルミラ遺跡の光景

14:00 行きと同じバグダッド・カフェで休憩。これからキルクーク(イラク北部)へ行くという国連のミッションの3人がお茶を飲んでいる。真っ白い国連塗装の車に乗っているが、窓ガラスが普通だったので防弾仕様ではないようである。もっとも、自動小銃でやられれば、少々の防弾仕様には何の意味もないのだが。彼らに「I sincerely wish your good luck.」と声をかける。

国連の車

「イラクはあちら」

16:10 ダマスカスから見て北西の山の中にあるマルーラという集落へ行く。ここはキリスト教徒がローマ帝国の迫害を避けて住み着いたのが町の起源という由緒正しい村なのだそうで、一番大きい聖サルキス教会には、アラム語という、キリストが布教していたころに話されていたらしい言語を話す人が今もいて、アラム語で祈祷の言葉を唱えてくれる。また、教会は聖サルキスと聖バッカスに捧げられたものなのだそうで、同じバッカス(ローマ神話で酒の神)つながりという訳か、ここの教会で作っていると赤ワインも売っている。その後、高速道路に出てダマスカスへ。途中、陸軍の駐屯地があり、戦車や兵員輸送車が何台か止まっている。

マルーラの町

聖サルキス教会

シリア軍の駐屯地

19:00 ダマスカスの町の北はずれにあるカシオン山というところのレストランで夕食。この山は、旧約聖書によれば世界最初の殺人事件(アダムとイブの長男カインが次男のアベルを殺害)がおきたところなのだそうである。とはいうものの、この暑い夏の時期、そういう物騒な伝説とは関係なく、ここはダマスカス市民の格好の夕涼みの場所になっている。レストランから外を見ると、ダマスカスの町の夜景が実にきれいである。数多く存在するモスクにともされた緑色の明かりが印象的で、こんなに緑色の多い夜景はなかなか珍しい。

ダマスカスの夕景

ダマスカスの夜景





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