| 5日目 (8/4) |
| ジェラシュとボスラ(ヨルダン〜シリア) |
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07:30 ホテルの周りを散歩。泊まったホテルは一応市内中心部にあり、周辺はビジネス街になっている。ただし、あまりにぎわっている風ではなく、単に通勤客が多いだけである。ホテル隣のシネマ・コンプレックスで「Fahrenheit 9/11」を上映しているのを発見。日本ではまだ未公開なので見ていないし、折角なので昨日にでも見に行けば良かったと、少し後悔する。 09:00 ホテル発。バスは北に向かって走る。このあたりの地域、実際に来てみると標高も高く、丘陵地帯になっている。地中海性気候の丘陵地帯では果樹がところどころで栽培されている。そのような中を小一時間ほど奔ってジェラシュ遺跡に到着。もともとはキャラバンの中継都市であったらしいが、ギリシャ期(おそらくはアレクサンダー大王のころ?)に都市として整備され、さらにはローマ時代に立派に整備されたということらしい。ローマ時代の都市遺跡としては、ヨルダンでもっともよく残っている。この辺り(属州アラビア)にはこのような都市が10ほどあり、デカポリスと総称されていたという。パルティアとの対立の最前線はここよりもう少し北であるため、都市の構造は、最前線の軍事都市という感じではない。 ![]() ![]() 10:00 遺跡の中を歩き始める。南門を入ってすぐのところがフォーラムで、ローマ時代の遺跡にしては珍しく、円形になっている。夏の観光シーズンと言うことで音楽祭をやっているらしく、フォーラムの中にはテントが幾つかたてられている。フォーラムの横にはゼウスの神殿が、その横には3000人を収容するという円形劇場(南劇場)が建っている。この円形劇場は1925年に発掘されてから現役に復帰し、音楽祭のメイン会場になっているというからたいしたものである。保存状態も良く、当時の姿をかなり復元しているようである。 ![]() ![]() ![]() 円形劇場を出て遺跡を歩く。ジェラシュは別に軍団基地でも州都でも無く、属州アラビア(ちなみに、現在のヨルダン川西岸地域−というかイスラエルは属州ユダヤ)の一主要都市に過ぎなかった筈なのだが、それでも大きい。劇場や浴場といった主要施設はすべて2つずつあち、北劇場というものも残っている。また、ビザンチン帝国期に入ってもそこそこ繁栄していたようで、教会の跡もいくつかある。教会の跡などを眺めながら、ここの遺跡群でもっとも大きいアルテミス神殿へ。アルテミスの神殿なので、もともとはギリシャ時代に作られたものであるが、かなり大きい。この神殿、柱の根本が丸く削ってあり、一種の耐震構造になっている。 ![]() ![]() また、このジェラシュ、列柱道路(コロネード)が600mにもわたってちゃんと残っている。他のローマ都市の多くと同様、南北のメインストリートであるカルドがコロネードになっていて、フォーラムから北に向かっている。石の舗装もちゃんと復元されていて、周囲には神殿やビザンチン時代の教会、商店跡などが残っているし、東西の通りであるデクマヌスも多少復元されている。いろいろと残っているので、本来であればゆっくりと時間をとって散策したいところなのだが、暑いせいかガイド氏が時間を早めに切り上げてしまい、やや駆け足になりながら写真を撮ってジェラシュを後にして昼食へ。その後、再度バスにのって今度はシリアとの国境を目指す。 ![]() ![]() ![]() ![]() 13:45 国境着。検問所の光景は平和そのものである。ただし、世の中はそれなりに物騒だし、シリアは軍事政権色が強いこともあり、写真は一応隠し撮りに留める。シリアの入国手続きも、空港並みにパスポートの番号をすべてコンピュータに入力してチェックして、ちゃんとブラック・リストと照合している。米国からは「テロ支援国家」と呼ばれるシリアであるが、実は、アル・カイーダのような原理主義勢力とは敵対しているので、治安関係にはそれなりに厳しいようである。その後、バスを替えて、こんどはシリア南端のボスラの町へ。 ![]() 国境から30分ほどバスに乗ってボスラへ。ここもペトラ同様、もともとはナパテア人の手になる都市であり、ペトラが南の首都であったのに対し、こちらは北の首都であったという。トラヤヌス帝の征服直後の2世紀はじめに属州アラビアの首都になった町で、軍団基地もあり、当時では最大規模を誇った都市である。規模は大きい。ただし、遺跡の上にイスラム時代の都市が造られ、現在も人が住んでいるところがあるため、現在遺跡として見学できるのは円形劇場と、旧市街の一部だけである。まず、ローマ時代の市街跡に入ると、色が違う。中東のローマ都市というのは花崗岩か大理石(この場合、他から運んでくる)、ないしは砂岩というのが定番なのだが、ここは玄武岩である。ここから少し東に火山があって、玄武岩が最も手に入りやすいのだという。このため、有名な「風の門」も「ランタンの門」も少し黒ずんでいる。また、「風の門」から東に伸びるここのデクマノスもコロネードになっているが、その一部は二重構造になっていて、なんと地下通路まである。夏のきつい日差しに配慮したのであろうが、ローマ時代に地下街があったというのも驚きである。 ![]() ![]() ![]() 続いて円形劇場へ。ボスラは平原の真ん中なので、円形劇場はすべて玄武岩で組み上げられている。2000年近くも立っているので流石に崩れかけていてもおかしくないのだが、十字軍に対抗するために、11世紀に円形劇場を拡張するような形で城塞が建設されたため、城塞に囲まれた中の円形劇場はかなりきれいに保存されている。このため、3000人収容の円形劇場が、リビアのサプラタ遺跡のように怪しげな修復をされたわけでも無くそのまま保存されている。 ![]() ![]() ![]() 再びバスに乗り、ダマスカスへ。ホテルの日本食レストラン(ただし料理人は中国人っぽい)で食事後、町を少し散歩する。木曜日(日本で言うと土曜日)の夜のため、人通りはそれなりに多い。また、町を行く女性を見ても、スカーフを被っていない女性が半分くらいは居る。シリアはバース党(ちなみにイラクのバース党と元は同じ)の実質的な独裁という、民族主義的というか世俗的な支配体制になっているので、当然といえば当然である。こういう町の風景を見ると、シリアとイランをひとまとめにして「テロ支援国」にしてしまうアメリカ合衆国の考え方には疑問を持たざるを得ない。 ![]() |
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