中東ちょっと長め旅行記
〜「帝国」の辺境を行く旅〜




4日目 (8/3)
死海と大都会(ヨルダン)


08:10 名残惜しいペトラを離れて、今日は死海経由でアンマンに戻る日程である。その前に、ワディ・ムーサ(意味は「モーゼの谷」)にある泉の一つ、モーゼの泉に寄る。モーゼはイスラム教でも預言者の一人であるが、彼が杖で岩を割ったら水が出てきたという伝承があるという。

モーゼの泉。右上がモーゼが割ったという伝承のある岩。

11:30 肥沃な農業地帯であるヨルダン渓谷におり、死海のほとりへ。今日もかすんでいて、対岸にあるはずのイスラエルのエンリコの町もよく見えない。死海のほとりのDead Sea Spa Resortというホテルで、昼食兼死海浮遊。観光客は欧州、特にドイツからの客が多いらしく、中の掲示にはドイツ語が目立つ。死海の水は塩分濃度30%以上と言うだけあって、流石に良く浮く。もっとも、多量の塩分やミネラルが溶けているのでかなりきつく、目はゴーグルをかけていたので大丈夫だったのだが、少し口にはいると、辛いのではなく苦い味が広がる。また、海抜マイナス400mというだけあって気圧も高く、ペットボトルが少しへこんでいる。

死海の対岸

14:30 アンマン市内に着く。人口100万人を越す大都会である。まず、ジベル・アル・カルアという旧市街地の丘に行く。丘の上はギリシャ時代からの遺跡で、ヘラクレス神殿の跡が残っている。その他にも、アンマン城とよばれるモスクや教会跡などがあり、博物館も建っている。あと、丘の上から町を見ると、別の丘の上に巨大なヨルダン国旗がはためいているのが見える。この大都会で、38度線付近の南北朝鮮国境地帯ではあるまいし、と不思議な気分になる。

ヘラクレス神殿

アンマン城

教会跡

15:00 博物館の中に入る。ここの博物館の見物は2つで、一つはBC8000年の土人形、もう一つは「死海文書」である。第2次世界大戦直後に死海のほとりで発見された「死海文書」は世界最古の旧約聖書の写本の一部とされ、羊皮紙にかかれたものと、銅に刻まれたものがある。ここの他、イスラエルや大英博物館にもそれぞれ一部が保管されているあたりが、発見された時期のこのあたりの政治状況を反映している。

博物館の土人形

「死海文書」の銅板(コピー)

15:30 博物館の外に出て、丘の上をまわる。さきほどの国旗がよく見える。

丘の上にはためく巨大なヨルダン国旗の光景

15:45 丘を降りてローマ劇場跡へ。割と大きいのだが、ペトラ遺跡を見た後のせいかあまり感動がない。その後、バスでホテルに戻り、タクシーで近所のスーパーに出かけて買い物をする。ホテルで夕食後、ロビーで結婚式を見物。アラブの結婚式は賑やかでおもしろい。

アンマンのローマ劇場跡

ホテルで見た結婚式の光景。花嫁・花婿到着前から始まっている歓迎の踊り





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