中東ちょっと長め旅行記
〜「帝国」の辺境を行く旅〜




はじめに
「帝国」の辺境


 最近、「世界の中心で」何かを叫ぶのが流行しているらしい。このフレーズ、もともとは、アメリカのSF小説家Harlan Jay Ellisonの"The Beast that Shouted Love at the Heart of the World"(世界の中心で愛を叫んだ獣)という短編小説集(同名の短編もあり)の題名である。最近日本で小説や映画になって流行っている「世界の中心で、愛をさけぶ」という題名、この短編からそのまま取ってきたのか、はたまた「新世紀エヴァンゲリオン」の最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」から持ってきた(SFをたくの庵野氏は当然エリソンの原作を知っていて、「愛」を「アイ」に替えている)のかは定かではない。いくら中身が純愛路線だと言っても、ちょっと芸が無さすぎて著作権法上の問題がありはしないかとは思えるが。

 さて、ヨルダン・シリア・レバノンを回る旅行記の冒頭にこの話を持ってきたのは、小説が売れて儲かったであろうどこかの小説家(か編集者)を批判するのが目的ではない。「世界の中心(center, heart)」があれば「世界の辺境(peripheral, skirt)」も存在する、といういう当たり前の事実を言いたかっただけである。今回旅行先に選んだこの中東の地中海沿岸地域は、世界史の中では縁辺、ないしは辺境に該当する。ウマイヤ朝シリアという例外を除くと、このあたりを根拠にした派遣国家−ないしは帝国−が出た例は無い。ローマ帝国の時代、このあたりはローマ帝国の縁辺地区として、パルティア(後にはササン朝ペルシア)との前線に近いところに位置していた「辺境」である。アッバース朝時代にはビザンチン帝国との間で領土の取り合いの対象となり、その後エジプトのマムルーク朝、モンゴル帝国、オスマン・トルコ帝国にそれぞれ支配された後、20世紀に入ってフランスとイギリスに分割され、第2次世界大戦後に独立、というのが歴史である。

 しかし、それぞれの時代を支配した帝国の中では「辺境」であったとは言え、この地域が文化・経済・社会的にかなり遅れていたかというと、少なくともローマ帝国からオスマン・トルコの時代にかけてはそうでも無い様である。この地域に残るローマ帝国時代の遺跡はかなり立派なものであるし、イスラム教の時代でも、カイロやメッカ・メディナほどではないにせよ、アンマンやダマスカスというのはかなりの大都会だった様である。これは、当時の産業構造を考えるとある意味では当たり前である。シリアからレバノン、イスラエルにかけての地中海沿岸地域というのは、中東でも有数の農業地帯であり、レバノンやシリア西部ではそれなりに雨が降り、レバノンの山岳地帯では雪も降る。シリアやヨルダンの国土の半分は砂漠であるが、それは国の東側の話であり、国土が全部砂漠という訳ではない。この位の時代までは都市の規模は周辺の農業生産力に依存する面がかなり大きかった以上、当然、それなりの都市も出来る。船で運ばれてきた食料に依存することの出来る都市などというのは、せいぜい帝国最盛期のローマくらいのものであろう。

 しかも、そのローマ帝国でも、2世紀も末になってくると、本国ローマに対する縁辺部の地位がかなり上がり、辺境出身の皇帝が排出している。現リビア出身のセプティミウス・セヴェルスもそうであるし、シリアを地盤とした彼の孫たち、そしてフィリップス・アラブス帝などである。ローマびいきの塩野七生女史によると、フィリップス・アラブス帝は帝国の首都ローマの壮麗ぶりに賛嘆してばかりであったそうであるが(「ローマ人の物語」]U巻、新潮社2003年、p.177)、まぁ、首都ローマの「蓄積」の厚みに辺境出身者が感嘆したというのが事実であろう。少なくとも、当時、首都ローマの食糧供給は既に北アフリカやエジプトに支えられていたはずである。

 というわけで、今回の旅行の行き先は、ローマ帝国を中心としたいにしえの帝国の「辺境」であるが、結構繁栄していた「辺境」である。ローマ帝国時代にはパルティア・ペルシャとの対立の前線の背後にあって補給を支えるどころか本国ローマにも一部食糧を供給し、皇帝を何人も出したくらいであるから、その経済力はたいしたものである。「繁栄している辺境」というと若干矛盾した響きがあるが、元来、「帝国」というのはそういう存在を許容するというか、そういう存在が寄せ集まって構成されているものなのであろう。近代ヨーロッパに源を発する国民国家とは違い、構成原理が「国民」とか「民族」よりはもう少し普遍的なもの(宗教など)に基づいており、構成民族は多数にのぼり、かつ、領土拡張志向も強い。当然、「国境」というものが流動的ではっきりしないことになる。ローマ帝国や中国の歴代王朝の帝国の国境線は、戦争や征服により始終動くのが当たり前であり、経済的に豊かな土地であれば、当然その取り合いの対象にもなりやすく、そういった繁栄した土地が帝国の「辺境」にあってもおかしくはない。また、そういった「繁栄している辺境」の「中心」に対する相対的な経済的地位は割と高く、それなりの自治権が認められている場合も多い。

 一方、近代ヨーロッパ流というか、現代の国家概念の中心になっている「国民国家」(日本も実はその典型例である。北海道のアイヌと沖縄をのぞき、ほぼ単一民族である)では、このような「豊かな辺境」という存在は存在しにくい。言葉の響きとは裏腹に、「国民国家」の方がよっぽど「中心」と「辺境」の格差は大きいような気がする。「国民国家」の場合、どうしても中央集権の度合いが高くなりがちであるし、また、国境紛争はすぐに国家の総力を挙げた戦争になりかねないので、そもそも「辺境」は経済的に発展しにくいのかも知れない。しかし、最近の日本のように、露骨に「中心」である東京ばかりが繁栄し「辺境」が置きざりにされている状況というのも何か変である。日本の「辺境」というか、「地方」は、どこも中央政府からの補助金漬けになっていて何の気概もない。この状況を見ていると、それなりに「豊かな辺境」が存在していた「帝国」という存在は、実は見直されるべきものなのかも知れない。






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